講師プロフィール

河合良一 歯科医院地域一番実践会 地域一番化アドバイザー

略歴

現役で中央大学法学部へ入学も、ビジネスの成功を志し中退。21才で独立起業。その後、更なる成長を志し黒字経営ながらも会社精算。2008年に経営戦略研究所(株)へ入社。独立起業時代・営業・IT企業での経験を活かしたマーケティング・WEB戦略を歯科経営に落とし込み、理想の医院作りをサポート。超激戦区の都心で新患数を3ヶ月で2倍、地方都市にて9ヶ月で医業収入を2.5倍にするなど入社後たった1年半で地域一番医院を複数輩出、めざましい実績を上げる。
また、年間1000回以上に及ぶ面談を通じてスタッフの成長を促し、幹部スタッフやTCの育成まで行う。2009・10年度、経営戦略研究所(株)ベストコンサル賞を2年連続受賞。スーパーTC育成塾、幹部スタッフ育成塾、新人スタッフ研修の講師を担当。

5月16日生まれ、おうし座、A型、動物占いは「大器晩成のたぬき」
好きな言葉:「困ったことは起こらない」
尊敬する人:上杉鷹山、神田昌典、イチロー、野茂英雄

河合をより知っていただく為に

『波瀾万丈な人生を送りたい!』

これが中学生時代の口癖でした。その頃は「波瀾万丈な人生だね」と人から言われるような日々を本当に送ることになるとは、想像もしていませんでした。そんな私の今までの人生を、ごく一部ですがご紹介します。

根暗な小学校時代

小学校低学年の頃は、引っ込み思案で口数は少なく、友達の輪に入るのが苦手な子供でした。休み時間には、校庭でみんなが走り回る様子を、教室の窓から1人寂しく眺めていたことを覚えています。

大きく変化したのは、少年野球を始めた小学校3年生の頃でした。急に活発になり、友達がどんどん増えました。また、練習をすればするほど上達し、試合で活躍するようになりました。すると、仲間や親が喜んでくれるのです。さらに自分の中の達成感が心地良いのでもっと練習します。この好循環によって、その後の人生の大きな助けとなる、「努力を継続する力」が養われたように思います。

当時の家庭環境は、ごく普通のサラリーマン家庭でした。父親は大手リース会社に勤め、毎日のように終電で帰宅。その事が原因で、よく母親が泣いていたり、口論をしていました。ただ、休みにはキャンプや旅行に連れて行ってもらったり、夏休みには朝の5時からキャッチボールに付き合ってくれたりと、とても伸び伸びと教育してくれた両親のことは、とても感謝していますし、尊敬しています

初めての挫折から、ダークサイドへ・・・

挫折の始まりは、高校最初のテストでした。なんと、400人中382位。中学では常にトップクラスにいた私には、思わず二度見するほど衝撃的な順位です。薄っぺらい自信は木端微塵。その後、猛勉強をして盛り返す・・・はずもなく、部活に没頭。これが、後に3年間全ての通知表でクラス最下位という、前人未到の記録を達成する第一歩となります。

そして、挫折はさらに続きます。勉強を無視して没頭したお陰で、レギュラーをつかんだばかりの1年生秋。肩を壊して、ボールが投げられなくなってしまいました。そして、失意のうちに退部。人生を変えてくれた野球との別れの瞬間です。

そして、急に勉強をしようと思っても、もはや授業は理解不能。結果、学校にはあまり行かなくなりました。人間、落ちるときは早いです。自分の周囲には同じレベルの人が集まると言いますが、当時の私の周囲は、高校へ入学すらしていない友達で固められました。

高校3年の春。さすがに将来を考えはじめる時期です。悩んだ結果、「お金持ちになりたい!」という動機だけで、弁護士になろうと決意。一念発起し大学受験挑戦です。勉強を始めただけで他のクラスから見学者が訪れ、全員から「絶対に無理」と笑われるような底辺からのスタートです。しかし、1日15時間以上の勉強を続けた結果、模試でもE判定しか出なかった志望校へ奇跡の現役合格を果たしたのです。

そして大学入学後、意気揚々と参加した司法試験受験のカリスマ講師の講演で、衝撃を受けます。

「弁護士は儲かりません!」

それがカリスマ講師の第一声でした。

「!?!?!?!?」

弁護士になればお金持ちになれると信じていた私は、激しく混乱しました。そして一気に、弁護士へ興味を一瞬で失ったのです。人間は目標を失うと、ダークサイドへ落ちていくのですね。またもや遊びまわる生活の始まりです(周囲のほとんどの学生が同じような生活でしたが)。そんな底辺の生活をしてる中、何気なく友達にした質問が人生を変えます。

「金持ちになりたいんだけど、どうやったらなれるか知ってる?」

すると、「自分は知らないけど、成功者を紹介してあげるよ」という返答。

怪しい・・・などとは一切考えることなく、『成功者』という言葉の響きに興奮し、その人物に強烈な興味を抱きました。そして、人生で初めて『夢』を語る人物に出会ったのです。同時に『成功哲学』というものを初めて聞きました。

強烈なショックを受けた私はすぐに大学を辞める決意をしました。もちろん親は大反対です。しかし、目標を持ったら止まりません。親をなんとか説得し、『成功』へ向けその人物の会社へ営業のアルバイトとして入社しました。

入社して3ヵ月後、営業として成績を出し始めていた頃、社長からネットワークビジネス(MLM)の誘いを受けました。『ねずみ講かよ・・・』と思いながらも、説明を聞くと、これがとても面白い。しかも、実は社長もMLMで成功したという。これは自分もやるしかないと思い、今度はMLMに没頭することになります。

MLMは世間でのイメージは最悪ですが、本気で取り組むと非常に奥が深い仕事です。私は運良く、多くの経営者や、某大手エステ会社で全国3位の売上げを誇る女性、損保のトップセールスの方など、一般の仕事で結果を出されている方々と一緒に仕事をすることが出来ました。

そのような方々と共に切磋琢磨したお陰でコミュニケーション力、営業力、リーダーシップなど、数多くのことを学ぶ事ができました。結果、当時7万人の中で、世界最年少で表彰されるまでになったのです。

ところが、またもや試練が襲ってきました。なんとMLMの主催会社が計画倒産してしまったのです。その影響で、当時すでにMLM以外は機能しなくなっていた所属していた会社も倒産することとなりました。

収入が必要となり、アルバイトとしてあるOA機器販売会社へ入社。MLMで力をつけた成果か、3ヶ月でトップクラスの成績を収め、新人賞を得ることができました。これで調子に乗った私に「自分で会社を作ったほうが儲かるのでは?」という安易な考えが浮かびます。信条は思い立ったら行動です。2ヶ月後には自分の会社がスタートしていました。

学び多き独立起業~神田昌典先生をストーカー!?

独立時代は、非常にやりがいがありました。しかし、正直なところ苦難の連続でした

1年目のある日のことです。その月は24日の時点で売上げがなんとゼロ。締め日である翌日までに契約を取らなければ、翌月に現金が入りません。それ以前の2ヶ月間の売上げも低調で、銀行の残高は残りわずか。このままでは翌月の給料が払えななくなってしまうという、絶体絶命の状況です。

その日唯一のアポイントである保育園へ向かう道中も、スタッフの祈る姿が浮かびます。そして必死の営業の結果、1ヶ月分の売上げを取り戻すほどの大型受注を得ることができました。その時、目に涙を浮かべながら契約書を書いてもらったことは忘れません

保育園を出ると、青く澄んだ空が広がっていました。その空を見上げながら、事務所で待っている仲間に報告したときの喜びは、それまでの苦しみを一掃するほどのものでした。

しかし、奇跡が毎月起こるはずもありません。営業では私しか売ることができず、ギリギリの経営状態が約1年半に渡り続きました。しかし部下を育てようとしても、育て方が分かりません。当時、マネージメントやマーケティングなどの言葉も知らないような状態です。

また、狩猟型の営業スタイルだったためか、お客様から感謝の言葉を頂く機会もあまりなく、大きな達成感を得ることができなかったことも、心理的負担を大きくしていました。

「このままでマズイ。」

さすがに危機感を覚えた私は、たまたまネットで見つけた25万円のマーケティングの教材を購入。そして、その教材で頻繁に紹介されていたが、神田昌典氏でした。なんとか売上げをあげる方法を知りたい私は、すぐさま『1日で売上げの天才になれる!』というキャッチコピーの教材を即購入

その内容たるや衝撃的でした。いかに自分が何も知らずに商売をしていたかに気が付き、繰り返し勉強しました。そして、まずはその内容をもとにチラシを作成。しかし結果は全く出ません。藁にもすがる気持ちで、さらにわずかな貯金と生活費を注ぎ込み、次々と教材を買い漁りました。近所のパン屋さんでもらったパンの耳で空腹をしのぐほどまで追い込まれながらも、購入し続けました。

そんな時に目にしたのが、神田先生が主催するセミナーの案内。だた、セミナーとはいってもマインドマップ普及の為のチャリティーセミナー。神田先生の講義はおろか、マインドマップの書き方や、ビジネスの話は一切なし。しかも参加費10万円。しかし私は、『ある事』を思いつき参加することを決心しました。

セミナー当日、やはりビジネスの話は一切ないまま終了。会場を出た私は、他の参加者が帰るのを待ちました。しばらくすると、予想通り神田先生がでてきました。それを狙い、他の参加者が神田先生のもとへ一斉に駆け寄ります。サインをもらったり、写真撮影をしたり。しかし、私は柱の陰に隠れてひたすら待ちました

そして最後の1人が帰った瞬間、自作のチラシを握り締め、猛然とダッシュ

そう、この時を待っていたのです。日本一の経営コンサルタントを独り占めです。
待ちに待ったチャンスの到来に緊張しながら、恐る恐る話しかけました。

河合(以下:河)「神田先生、ご相談があるんですが・・・」
神田先生(以下:神)「いいですよ~、どうぞ」

大勢の対応をした後にも関わらず、笑顔で受け入れてくれました。少し安心して、まずは自作のチラシを差し出します。すると、それを目にした瞬間、一気に神田先生の表情が険しくなり、目が鋭く光りました。一瞬でビジネスモードに切り替わったような変化です。

  • 神 「これさぁ、凄くよく勉強してあるけどさ・・・すっごく浅はかだよね。全然ダメ。」
  • 河 「どの辺がまずいでしょうか・・・」
  • 神 「キャッチコピーが浅い。コンセプトがずれてない?結果でないでしょ?」
  • 河 「はい、全く反応がありません。」
  • いきなりの強烈なダメ出しです。さらに厳しい言葉が続きます。
  • 神 「そもそも、コピー機の販売って・・・もの凄い大変でしょ?」
  • 河 「はい、瀕死の状態です・・・」
  • 神 「だよね~・・・僕でも売れないよ。というかやらない。」
  • 河 「えっ・・・」
  • 神 「完全に成熟産業だし・・下りのエスカレーターに乗っていること気が付いている?」
  • 河 「はい、嫌になるくらい感じています・・・」
  • 神 「で、今何才なの?」
  • 河 「●●歳です」
  • 神 「え~!?(驚) 若いじゃないか~!35才位かと思ったよ。今の季節は?」
  • 河 「春2年目です・・・」 (※「なぜ春は来ない」 神田昌典著 参照)
  • 神 「まだ若いんだからさぁ、ここで辞めちゃうのも手だよ。まだやり直しは利くし」
  • 河 「いや、でもここで辞めるのも悔しくて・・・」
  • 神 「恥ずかしがらないでもいいじゃん。頑張ったんだから。」
  • 河 「はい・・・」
  • 神 「何をそんなに焦ってるの?あんまり生き急ぐなよ。」

この時点で、もう完全に泣きそうでした。辞めてもいいんだよと言葉をかけてもらうことで、一気に心が軽くなった気がしたのです。また生き急いで焦るだけで、視野が狭くなっている自分に初めて気が付きました

そして、言葉につまっていたところで話が終わり、神田先生も帰ることに。しかしまだ物足りません。すかさず帰った方向へ追いかけると、トイレに入るところを発見。今度はトイレの入口付近で待ち伏せです。もはや完全なストーカー気分です。トイレから出てくるところを、すかさず声をかけました。さすがの神田先生も驚いた様子でしたが、またもやお話に応じていただけることに。ここでも、今後の会社のこと、新しい仕事のことなどについて沢山のお話をさせていただきました。その中でも、一番印象に残っているのが最後の会話です。私がこんな質問をしました。

河 「僕は成功できるのでしょうか?」

今思うと情けない話ですが、すっかり自信を喪失していた私は、「大丈夫、成功できるよ」と言って欲しかったのです。

神田先生は少し考えた後、こう答えました。

神「答えは自分の心の中にあるんだよ。成功できるとは自分が自分に言うものなんだ」

アドバイスをして頂いているときの神田先生の表情、口調は始終厳しいものでした。そしてさらに厳しいお言葉を沢山いただきました。しかしそのアドバイスのお陰で、会社を清算し、次のステップへ移る決断ができたのです。あのまま続けていたことを今考えると、本当にぞっとします。

実は、この話にはちょっとした後日談があります。この時のエピソードが、神田先生の教材の中で紹介されていたのです。

その教材の中で「彼の将来の為に、敢えて厳しい言葉をかけたんだ。」とおっしゃっていました。神田先生の優しさに感激し、また少し泣きそうになりました。

経営戦略研究所へ入社

起業により学びを得ることで、特に仕事に対する考え方が大きく変化しました。「お金の為だけでなく、心が喜ぶ仕事がしたい!」そう強く思うようになったのです。しかし、心が沸き立つような仕事は簡単には見つかりません。それなら未経験分野を経験しようと思い、某ITベンチャー企業へ入社しました。

入社してから半年経ったころです。毎朝愛読している『平成進化論』というメルマガの、ある広告が目に飛び込んできました。

「あなたも1年で人気コンサルタントになれる!」

そんな言葉から始まる、経営戦略研究所のコンサルタント募集の求人でした。

「クライアントさんの笑顔と、そのお客さんの幸福のためにかけずり回ることができる、という生活ができたら理想ではないでしょうか。」

「週110時間以上、仕事をする覚悟がある人、今の仕事で結果・成果を出してる人でないとモノになりません。」

久々に心が躍りました。これしかない!と思い、即応募。しかし、実はこの時、面接を辞退しました。なぜかというと、「今の仕事で結果・成果を出してる人でないとモノになりません」という部分に自分が当てはまらないと思ったからです。

すると、ちょうどタイミング良く新規事業を任されました。これで実績を出して面接に挑もうと決心しました

そして、以前の狩猟型の営業を止め、よりお客様のニーズを聞くことに徹するスタイルの営業で、1ヶ月で1000万円を売上げ、3ヶ月で某百貨店9店舗、高級インテリアショップやホテルを20店舗以上を、全くのゼロから新規開拓するという結果を残しました。

その後、満を持して面接に臨んだのです。そして無事合格、入社するに至りました。

これから皆さんと一緒に、院長先生やスタッフの皆さんが最高に輝き、患者様から信頼される地域一番医院を作っていきたいと思っております。どうぞよろしくお願い致します。

講師:五島光のプロフィールはこちら

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